こんにちは!
人間関係で悩みセラピーやカウンセリングでは解決できす。
心とからだに不調を抱え仕事や日常がつらい方を対象に最短3ヶ月で心身が劇的に変化する
「超・現実変容ヒーリング」セラピストの鈴木ともこです。
私は検査しても異常ないけど身体がだるい、夜も眠れない
薬に頼りたくないけど、ついつい頼ってしまうとお悩みの方々を対象に、
超・現実変容ヒーリングを提供しています。
Contents
私がなぜ、起業し、サロンを作り、講師やセラピストとして活動しているのか?ぜひご覧いただけたら嬉しいです。
0歳の私は夜泣きを 毎日繰り返していたそうです。
あまりにも毎日泣き続ける私の泣き声に
しびれを切らした隣のおばさんが、
なんと、夜中に我が家に訪れ、
泣き悩まない私に大声で
「泣くな~!!」と怒鳴ったのだそうです!
そして、その瞬間、私はピタッと泣き止んだとのこと。
毎晩困っていた母も驚き!
母は周りの人達に迷惑をかけずにすむので
ホッとしたとのことでした。。
赤ちゃんは泣くのが仕事!とはいうものの
日本人気質なのか
迷惑をかけてはいけない・・という価値観を
私は0歳児で埋め込まれていくのです。
なので、大人になってから
赤ちゃんが大声で泣き叫ぶのを聞くと
「だれかキレる人がいたらどうしよう!」と
身構える自分がいました。
0歳の時の出来事が影響したのでしょうか、
それからの人生はとてもつらい日々でした。
人が怖くて幼稚園にも行けませんでしたし、
5歳での盲腸手術は手遅れ寸前で大手術。
1か月入院生活となりました。
その後、小学校には何とか入学したものの、お友達も出来ず、孤独な日々。
そして、小学2年生のある日、衝撃的な大事件が!
学校に行くのがつらかった私は
「学校に行くのが嫌だなぁ
また入院したいな・・・」とつぶやいたその次の日
なんと、自宅でガスの火で脚に大やけどを負ったのです!
そして大手術となり
2か月もの入院生活を余儀なくされたのでした。
手術台の上では怖くて怖くて0歳の時の様に大泣きをしたのですが
そこでも看護師さんに押さえつけられる状態に
またもや、
大きな声を出してはいけないんだ大人しくしていなければいけないんだ
という事を再度学んだのです。
そんな体の弱い私を見て
母のお友達からモダンダンスを習ってみないか?
と誘われました。
すごく楽しくて、開放的な気分になる自分を感じることができました。
でも・・母親は高熱を繰り返していた私を心配をして
・大好きなダンスを止めることに。。。
・「私は本当は行きたかったのに。。。」
母が通わせてくれれば、と母のせいにしていました。
でもそのことを言うことすらできない・・
・自分を押さえ込むことが良いこと
・自分を出してはいけない
そんなふうに私は自分の感情に蓋をしてきました。
その後、平凡な学生生活の後
地元に就職し、主人と出会い、
男の子二人にも恵まれ日々忙しい生活を送っていました。
二人の子供たちは元氣に成長してくれましたが・・
私はまた体調が悪い日々が続いておりました。
何とか仕事は勤めてはおりましたが
異変が起きたのは50代半ばころ。
左側に耳鳴りが続き、聞こえも悪くなり
耳鼻科に行ったときには手遅れ状態の突発性難聴。
その後、55才で胆のう切除。
同じ年にヘルニア手術など、入院生活の繰り返しとなってしまったのです。
と言っては人のせいにしていました。
このままでは私は死んでしまう。。
何とかその病気のループから抜け出したいと思っていたところ
またもや人生の転機となるある出会いがありました。
56才のある日、趣味の社交ダンスを通して
キネシオロジーという学問に出会いました。
社交ダンスZONEの先生ご夫妻との練習
憧れの社交ダンスの先生が推薦しているものなので間違いはない・・とは思いつつ
どんなものなのだろう?と半信半疑でした。
筋肉反射により自分の心の声を聴く・・
え?そんなことが本当にできるのか?
でも私はたった1回のセッションで電光石火の如く感じてしまったのです。
「私のやりたいことってこれじゃん!」
という魂からのメッセージをバチっと受け取ったのです。
体と心は繋がっているとはよく言うけど、
このキネシオロジーによってそれが心の奥底から納得できたのです。
心と体の目覚めをはっきりと体感した瞬間でした。
キネシオロジーの学問の一つである
「タッチフォーヘルス」を学ぼうと決意。
家族は微妙な反応でしたが(苦笑)
もう他人の顔色を伺うことはしません。
自分らしく生きると決めた私は、
上京を繰り返して学びを続け、フルタイムの勤務をしながらも
インストラクターまで習得することが出来ました。
2018年 タッチフォーヘルスの仲間と
心と身体のつながりを感じるタッチフォーヘルスは、自分自身や家族とのつながりも
改めて見直しする機会となり、周りの方には感謝の気持でいっぱいになりました。
講座を受けるごとに体調が良くなり、3か月に一度は体調を崩し通っていたクリニックの医師からも「最近は風邪ひかないね」と!
お友達からも、病弱だったのに、なんだか顔色も良くなり、変わったよね。と言われるほど変化をしていきました。
心も体も軽くなり、人前で話す事が苦手だった私が、大勢の前で緊張しながらも堂々と話せる様になっていたり、出来る事がどんどん増えていきました。
自分は弱い身体だ、声を出してはいけないなど、0歳児にインプットした思い込みが外れ、
本来の自分にスイッチが入ったことで、自分を癒す事、自分で自分をケアすることの大切さを実感し、病気を繰り返していた自分から抜け出すことができ、180度違う人生になりました。
知らず知らずに5才から50年間の病気や入院の繰り返しは、肉体的・精神的に辛い経験でしたが、
それに立ち向かって回復しようとする自然治癒力が人間には備わっている
自分の心と身体に向き合うことで、より自分を大切にする事が出来るのだと学びました。
そして、周りのせいにばかりしていた自分に気づき、本来の自分を見つけだし
今では心身に不調をかかえる方のお手伝いをする側になることが出来ています。
タッチフォーヘルスの深い学びと、様々なセラピーやヒーリングを学んできた私。
それらを融合した超・現実変容ヒーリングを開発しました。
タッチフォーヘルスで現状を把握し、目標設定をします。
そのあとその方にとっての必要なヒーリングを流し、現実がみるみる変容し、より自分らしく生きるお手伝いをさせていただいています。
このメソッドと共に
笑顔になれる好きな事を通して笑顔の絶えないサロンにしていきたいと思います。
そして
『ともこさんに出会えて良かった!目標が本当に叶っています!人生変わりました!!』
そんな沢山の喜びのお声が私を笑顔にし、幸せにしてくれていることを。
55才まで他人軸で生きていた私が
いま、お喜びの声をいただき一緒に笑顔になれ
今、輝かせていただいている事に感謝をいたします。
私のように間違った思い込みして心身を壊してしまう前に
その思い込みを外し、本来の自分に気づき、そして、一家に一人セラピストを増やし、
笑顔を伝染させ明るい社会にしていくよう活動していきます!
出会えて良かったと心からの笑顔で仰っていただけるそんな人生歩をみたいと思います。
私の母は3才の時に母親を亡くし、とても寂しい思いして育ったことで
私には同じ思いをさせたくないから長生きするんだと日頃から身体に気を付けて87歳ま で力強く生きてくれました。
その母の生き方に共感し、大好きな母にずっと側にいて欲しいと言う思いで、母の名前「きぬ」をSILKに変えてサロン名に取り入れました。
その母の思いを感じながら、サロンのお客様を元氣に迎えることが出来ています。
私の学んできたタッチフォーヘルスの中に、チベット医学の概念である「8の字エネルギー」というとても強力なエネルギーがあります。
「8」は 横にすると無限大にもなり、エネルギー的にとても強力なため、サロンにいらしたお客様に、ご自身の本来持っているパワーに気づき、最大限に活かして強く生きて欲しいという願いでサロン名に取り入れました。